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商品詳細

モイーズ キスリング

ワイン、花、炎から(出発のワイン)

モイーズ・キスリング「ワイン、花、炎から(出発のワイン)」ポショワール(版画)

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作品情報

タイトル
ワイン、花、炎から(出発のワイン)
作家
モイーズ キスリング(KISLING Moise)

作家情報

1891~1953

ポーランド南部の町クラクフでユダヤ人
の子として生まれた。
ユダヤ人でありながら本人は無神論者で
あり、自身の名前モイズも旧約聖書の
「モーゼ」を意味することから自身の名前
が嫌いだった。
小さい頃から彫刻に興味があり、美術学校
の彫刻科に進もうとしたが定員いっぱいで
進めず、絵画科で学ぶことになった。
学校でキスリングのデッサン力が認められ
パリ行きを勧められたことから、1910年
パリで学ぶことを決断した。

パリではピカソ、マティス、モディリアーニ
らと知り合い前衛絵画の技法も学んだが、
そうした技法よりも何を描くかといったこと
に重要性を感じた。
1914年第一次大戦で外人部隊に志願したが
戦場で負傷し、治療のためスペインへ、
そこでマリー・ローランサンと知り合う。
その後、パリに戻りフランス軍高官の娘と
結婚し、個展にも成功し生活は順風満帆の
人生が開けていった。
モンパルナスにアトリエがあったことから
「モンパルナスの帝王」と言われるように
なった。

しかし、第二次世界大戦が始まるとユダヤ人
であったキスリングはドイツに占領された
フランスにはいられずアメリカに亡命する
こととなった。
アメリカでもキスリングの人気は高く、温厚
でユーモアにあふれ人づき合いの良い彼は
同じ亡命画家たちを経済的に支援した。
戦争が終わりパリに戻ったキスリングは再び
精力的に活動をするが1953年病に倒れ、
62年の生涯を閉じる。

 

技法
ポショワール(版画)
詳細サイズ
縦28.3×横23.7cm
額縁サイズ
縦55.5×横43.5cm
状態
良好
備考
1952年作
価格
39,000円(税込)

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